登校拒否の生徒に必要なこととは

登校拒否の生徒に必要なこととは

登校拒否の中学、高校生でも英語で立ち直る 以前私が英語を教えた生徒様の中に、登校拒否の高校生がいました。 せめて本人が好きな英語を学習させたいと、心配したお母さんが、私が経営していた英会話スクールに登校拒否の娘さんと連れて来てくれたのです。

登校拒否のその生徒様は、引っ込み思案でグループレッスンに参加できる状態ではありませんでした。

結局、私の個人レッスンを行うことになったのですが、 フリートーキングを行ってみると、日本語を交えながら意外にも普通に自分の意志や考え方を片言の英語で話すことができました。

私の英会話個人レッスンはフリートーキングとはいえ、会話の内容についてはそれなりの気配りが必要になります。

個人的には、なぜ登校拒否になったのか、また学校に行きたくない理由など聞きたくなるところですが、その生徒様が私の個人レッスンを楽しんでくれていることが最も重要なことだと考え、出来るだけ楽しくなるような話題や将来の目標について話し合うよう心がけました。

スパルタ方式で登校拒否の生徒様をが立ち直れることもあるのでしょう。 でも、私の考えとしては、自分の意志と反しながらも他人に強制されることで10歩前進するよりも、自分の力と意志で1歩前進することのほうが、長期的にみた場合は大きな一歩に思えるのです。

他人から強制されたものであれ本人の力であれ、「やればできる」ことを体験させ、自分に自信を持たせることの重要性は同じだと思います。 ただ、他人からの強制やプレッシャーによる教育は、その抑圧がなくなったときに気持ちが切れ、また元に戻ってしまう心配があります。

誰の強制も受けずに、自分の意志で前進することの大切さは、何も登校拒否の生徒に限らず、私自身、そして普通に生活している人々にも当てはまるのではないでしょうか。 企業で猛烈に働いた人が、定年退職後に家で"粗大ごみ化"してしまい、奥さんから邪魔者扱いされるなど、典型的な例だと思います。

学習にせよ仕事にせよ、強制は苦痛を伴いますが、自由意思により好きなことを行うことには喜びが伴います。 喜びが伴う行動は継続し、将来の目標と夢が見えてきます。

自分で掲げた目標や夢に向い、期待に胸を膨らませて学習できれば、他人が手を差し伸べなくてもその生徒様は20歩でも30歩でも自分の意志で歩み続けるでしょう。

強制によって進んだ10歩よりも、自由意思での1歩を大切にするのはこのためです。